愛されていた私の発見 40代 会社員
私が救われたのは、姉の導きによって20歳のときでした。姉はある教会の幼稚園で過ごし、その後仏教精神に基づいた学校に通い、私もそうでした。それで特別熱心な信仰をもっているのではないけれど、日本の習慣と考える程の仏教徒でした。私が18歳の頃ちょうど両親の離婚があり、すでに嫁いでいた姉は、自宅で歌やピアノを教えており、生徒さんからの紹介で新興宗教に誘われ、あっという間にその信者になり、私も母も入信しました。手かざしで病気がなおったり、代々の因縁を私で清めたり、3人共熱心に取り組みました。
そんな時に、キリスト教の牧師先生が姉のレッスンを受けに来られ、その先生を通して姉は本当の神様に触れ、救われました。姉は一生懸命に私や母に伝道しました。いつも、私は、「お姉ちゃんはその神様、私はこの神様、自由でいいんじゃない。」御互いの自由を尊重するというような生意気な返事をしていました。
銀座に姉と行ったときのこと、喫茶店で神様の話になりました。姉は「私のお父さんも、あなたのお父さんも同じでしょ? 私達をお創りになったお父さんは一人なのよ。そしてお父さんは私も愛してるし、あなたも愛している。お父さんだもの当たり前だよね? さらにあなたの自由を認めている、でもね、ほんとうは、帰ってきてくれないかと待っている。愛するあなたが本当を知らないためにさまよって悲しんだり、苦しんだりしているのを救いたいと願っておられるんだよ。私も、あなたも、たくさんの罪を犯しているけど、神様は最愛の子イエス様を十字架につけ、死ぬことによって私達の罪を赦すと言ってくださり、私のところに戻っておいでと言っておられるんだよ。」
私は、はっとしました。今まで、自分の好き放題やって、自分さえ良ければいいで過ごして来たこんな私を、神さまは愛し救う為に、イエス様を十字架につけ血を流された。私は、姉にどうすればいいの、と聞きました。姉は、イエス・キリストを真実の神様と信じることだと言いました。え-ッ、信じる、信じるだけでいいの。そんな簡単なら、今信じる。そして、姉は小冊子に沿って私を信仰告白に導いてくれました。
余談ですが、その帰りホームで、ちょっと怖かったけど、新興宗教のとき買ったネックレスをごみ箱に捨てて帰りました。そして今の私があります。あれから、母も救われ、主人と子供4人が与えられました。歩みの遅い私を今日も憐れみと恵みの中に置いてくださり、日々感謝の祈りを捧げています。
「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」(旧約聖書イザヤ43:4)とおっしゃっている神様は、私たちの救いを望んでおられます。「生まれる前から運ばれた者よ、あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしは、そうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは、背負って救い出そう。」(イザヤ46:3,4)「恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、わたしは、あなたの神だから。」(イザヤ41:10)。
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