カテゴリー「証し」の記事

2006/05/16

愛されていた私の発見 40代 会社員

 私が救われたのは、姉の導きによって20歳のときでした。姉はある教会の幼稚園で過ごし、その後仏教精神に基づいた学校に通い、私もそうでした。それで特別熱心な信仰をもっているのではないけれど、日本の習慣と考える程の仏教徒でした。私が18歳の頃ちょうど両親の離婚があり、すでに嫁いでいた姉は、自宅で歌やピアノを教えており、生徒さんからの紹介で新興宗教に誘われ、あっという間にその信者になり、私も母も入信しました。手かざしで病気がなおったり、代々の因縁を私で清めたり、3人共熱心に取り組みました。

 そんな時に、キリスト教の牧師先生が姉のレッスンを受けに来られ、その先生を通して姉は本当の神様に触れ、救われました。姉は一生懸命に私や母に伝道しました。いつも、私は、「お姉ちゃんはその神様、私はこの神様、自由でいいんじゃない。」御互いの自由を尊重するというような生意気な返事をしていました。

 銀座に姉と行ったときのこと、喫茶店で神様の話になりました。姉は「私のお父さんも、あなたのお父さんも同じでしょ? 私達をお創りになったお父さんは一人なのよ。そしてお父さんは私も愛してるし、あなたも愛している。お父さんだもの当たり前だよね? さらにあなたの自由を認めている、でもね、ほんとうは、帰ってきてくれないかと待っている。愛するあなたが本当を知らないためにさまよって悲しんだり、苦しんだりしているのを救いたいと願っておられるんだよ。私も、あなたも、たくさんの罪を犯しているけど、神様は最愛の子イエス様を十字架につけ、死ぬことによって私達の罪を赦すと言ってくださり、私のところに戻っておいでと言っておられるんだよ。」 

 私は、はっとしました。今まで、自分の好き放題やって、自分さえ良ければいいで過ごして来たこんな私を、神さまは愛し救う為に、イエス様を十字架につけ血を流された。私は、姉にどうすればいいの、と聞きました。姉は、イエス・キリストを真実の神様と信じることだと言いました。え-ッ、信じる、信じるだけでいいの。そんな簡単なら、今信じる。そして、姉は小冊子に沿って私を信仰告白に導いてくれました。

 余談ですが、その帰りホームで、ちょっと怖かったけど、新興宗教のとき買ったネックレスをごみ箱に捨てて帰りました。そして今の私があります。あれから、母も救われ、主人と子供4人が与えられました。歩みの遅い私を今日も憐れみと恵みの中に置いてくださり、日々感謝の祈りを捧げています。

 「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」(旧約聖書イザヤ43:4)とおっしゃっている神様は、私たちの救いを望んでおられます。「生まれる前から運ばれた者よ、あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしは、そうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは、背負って救い出そう。」(イザヤ46:3,4)「恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、わたしは、あなたの神だから。」(イザヤ41:10)。

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2004/10/19

聖書と私 R.M 50代 主婦

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」
詩篇一一九篇一〇五節
 もしあなたが孤島で一人暮らさなければならない、として、そこに持っていく本は一冊だけ、と言われたら、どんな本を選ぶでしょうか。私は「聖書」と答えます。いえ、何も孤島でなくても今の生活で、聖書は私の道しるべとなって、開いては読み、閉じてはまた開き、読まずにおれない私の霊の糧となっています。
 私が初めて教会に行ったのは小学校高学年の頃、友人が日曜学校に誘ってくれ、中学生になっても通っていましたが、遊び半分でした。そのうち行かなくなり、高校一年の夏休みの出来事を通して、再び、今度はまじめにクリスチャンとしての意識をもって通い出しました。高校一年の八月一五日、私は兄とよくケンカをしていましたが、その日も家にいたくなかったので友達の家に行こうと思い、暑い中トボトボ歩いていました。そのうち、中学生まで通っていた所とは別の教会を見つけ、その日初めてお会いした牧師先生に兄とのことを打ち明け、自分ではどうすることもできないことがわかりました。神様の目から見て、私が罪人であることをその日知らされ、イエス様を罪からの救い主としてその日受け入れることができました。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日がこないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。」
    伝道者の書一二章一節
 私は子供の頃から心臓が悪く、小学校入学以来、水泳や山登り、走ること等禁じられ、体育の時間はいつも見学でした。しかし二四歳の時、クリスチャンの主人と結婚し、母子共無事に二人の子供も授かりました。四二歳の時、心臓の手術を受け、健康を取り戻すことができました。
今年五五歳になりますが、昨春からプールにも通い、山登りにも挑戦し、体を思いっきり使ってスポーツをする楽しみも今は味わっております。イエス様を信じて、人生に希望や生きる目的を与えられて感謝しています。
 聖書を読むことで、神様の御心を知り、年を重ねて外側は衰えても内側は日々、新しくされています。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
第二コリント書四章一六節

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人生のオリンピック H.O 50代 主婦

 二〇〇四年の夏は三九度や三六度にもなった猛暑で死にそうでしたが、アテネ・オリンピックの楽しみのため、何とか過ごせました。
 「オリーブの冠」と「メダル」に向かって、人々の努力と研鑽の成果の美しさ、すばらしさに感動しました。マラソンの野口選手は、体の動きの癖を改め歩幅の広いストライド走法を身につけたとか。柔道や女子レスリング、水泳の若者たちは、肉体だけでなく精神面でも謙虚で、感謝も喜びも上手く話せて偉いなあ、と感心しました。
 私の生まれた一九四〇年の東京オリンピックは、日本の東南アジア、中国への侵出などで中止となり、翌年に太平洋戦争が始まりました。父は出征し沖縄へ、残された母と妹と私の乗った貨車の中は人がぎっしり立ち尽くめで、強い者勝ちに振舞う日本人の横暴さが幼い心に残りました。
 一九四五年に終戦、日本は焼け野原で食べるために必死の生活でした。一九四八年のロンドン・オリンピックは世界大戦を引き起こした日本とドイツを参加させてくれませんでした。水泳の古橋や橋詰といった実力盛りの選手も出られませんでした。日本は世界の仲間に入れてもらえず、「嫌われているのだなあ」と小学生の私は思いました。
 さて私も自分の人生のオリンピックは何か、どうしたら冠をいただけるか考えてみました。山本七平という作家は、「人はいろいろな会い方でイエスに会った。目の前にいてもイエスに会うことは出来ず、パウロ(新約聖書に登場する伝道者)のように生涯一度もイエスを目にしたことはないのに、イエスに会うことが出来る」と書いています。私がイエスに出会ったのは戦後一三年目、その頃は未だ物の不自由な時代でした。私は生きる目標も分からず、他者の心を理解することが出来ず、悩みの中にいましたが、一八歳でイエスと出会い、クリスチャン人生のスタートを切りました。
「死に至るまで忠実でありなさい。そうすればあなたにいのちの冠を与えよう」
黙示録二章一〇節
 この神の約束の言葉を知って、私の目標は、イエスに従って信仰を持ち続け、天に向かって終わりまで走り通すことだと思いました。
その時から私のコーチはイエス・キリストです。このコーチは時々、この世のやり方と全く異なる方法を教えます。競技の規定がこの世と違うからです。
 始めのうちはコーチに反発することが多かったのです。私の本性は、大きなことを成し遂げたい、高くとまっていたい、よく見られたいところがあります。また社会的に地位の高い人におもねりやすいという性質もあります。しかしコーチは言います。
《高ぶりに対して》
「あなたはそれではいけません。あなた方の間で一番偉い人は、一番年の若い者のようになりなさい。また治める人は仕える人のようでありなさい。」
《おもねる心に対して》
「最も小さい者たちの一人にしたのは、わたし(神)にしたのです。最も小さな者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのです。あなたはこの小さい者たちを一人でも見下げたりしないように気をつけなさい。」
《よく見られたい思いに対して》
「人に見せるために人前で善行をしないように。そでないと神の報いが受けられません。隠れたところで見ておられる神があなたに報いてくださいます。」と。
 一人でゴールのテープを先頭で切るのではなく、できるだけみんなと一緒にゴールに着くこと。人が転べば助け起こして、共にゴールを目指すことをコーチは教えてくださいます。
 私は実力もないのに偉そうにしたり、他人を批判したり、傷つけたり、不平を言ったりして、コーチの言葉どおりできず、しばしば落ち込みました。
 今年のオリンピックのシンクロナイズドスイミングの井村コーチは、負けたロシア・チームへのコメントで、「強いロシアがいたから、日本も成長できた」と述べています。立派です。私も、私の弱いところ、神の目の前に罪となる点に気づかせてくださった人々が身近におられたから、矯正された点がありました。
「兄弟(身近の人々)を憎んでいる者は闇の中にいるのです。」「互いに愛し合いなさい」といわれるコーチに素直に従えず、同じ反省を繰り返します。しかしこんな者を見放さずに、今も導いてくださるとは、なんと心の広い恵みに満ちたコーチでしょう。
 疲れる年齢になりましたが、コーチはまだ言うのです。
「目を覚ましなさい、他の人たちを力づけなさい。わたしはあなたの行いが全うされたとは見ていない」と。
 アニマル浜口さんほどではないにしても、応援団の教会の方々、家族が励ましてくれます。応援は愛情から始まっています。いのちの冠を受け取れるようがんばります。天の門が開く時に私もこう言えますように。
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には主が、それを私に授けてくださるのです。」と。
第二テモテ四章七、八節

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確かな土台 Y.I 40代 会社員

『わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。(箴言1:8)』など。たとえキリスト教を否定する人にでも、聖書に書かれている数々の言葉は、賢い教え、良い教えとして多くの共感を得られています。約20年前は私も否定こそしないがキリストの教えを受け入れない者の一人でした。 そもそも30年ほど前に、東武線沿線の駅頭で配られている教会のトラクトを受け取ったのが始まりでした。数回家内と一緒に船橋の教会に行きましたが、その後転居もあり、教会からは遠ざかっていました。ある日新聞を見て、かつて行った教会が隣家の火災から延焼したことを知り、早速火事見舞いに行きました。その後再度、船橋に転居し改めて日曜礼拝に顔を出すようになりましたが、これが後に私の人生の中で安定した拠り所を得る決定的な切っ掛けとなったのです。 教会に顔を出すようになっても、一週間に一度は良い話を聞いてそして心を洗い清めまた鋭気を養って次の一週間に備える。そんなパターンが何年も続きました。 さて今の世の中は、ほんの短時間の内にかつては常識、習慣だったものが次々に変わってしまうストレス一杯の時代です。常に社会の変化を追い求めながら、同時に心の安らぎを求めることは困難です。そしてこの世の中の基準では、どんな人格者でも企業にあっては利益を生み出す人でなければ社会一般では成功者と呼ばない時代になってきています。クリスチャンになる以前は、社会における自分の存在を認識する為の基準も富や名声かと思ったこともありました。私が全力で仕事に取り組んでいるのに、仕事に不誠実で責任感が薄い人を見ると、その人を非難し裁くような時もありました。信頼できると思っていた同僚との間の絆が揺らぎ始め、人を信用できなくなったこともあります。結局結論として、自分が努力して強くなり一生懸命取り組みなんとかするというような自信過剰気味、私が真剣に考えたのだから間違いないというある種自己中心的な考え方が自分を支配していました。世の中自分しか信頼するものは無いということです。するとますますストレスの増殖が心の中で起って来ます。 そんなある日、初老の紳士の話(証し)を教会で聞く機会がありました。「キリストの教えを受け入れて以来、年々時と供に自分の心の中に信仰による安らぎが大きくなり、今は自分がクリスチャンであることに本当に感謝している。」と言う内容でした。心の平安が欲しかった私は、この紳士の言葉と後日あった特別伝道集会の牧師の話でバプテスマを受けクリスチャンになる決心をしました。今の私はストレスや心の重荷で倒れそうな時『すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)』が心の拠り所。自分の全てを委ねそして仕える神を知り、その神の前にあって昂ぶりもありません。 しかしクリスチャンになったから困難が無くなった訳ではありません。数年後に担当した大きなプロジェクトでの挫折も、この世の基準だけを頼りにしていたら本当に絶望するか他人に責任を転嫁していたことでしょう。プロジェクト立上当初の上司との意見の確執を巡るさまざまな戦い。海外での単身赴任中に実母、そして妻の母親の死に目にも会えない永久の別れ。さらに家族の健康や心の問題、その他。さまざまな困難に際し全く動じない訳ではありません。しかし困難に耐え、困難に対応する術(神)を今は知っています。心の中に神を持っています。『(キリストの言葉を聞いてそれを行う人は、)地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。(聞いてもそれを行わない者はみな、)土台なしで地面に家を建てた人に似ています。(ルカ6:48-49)』 今の私は岩より確固とした心の土台をキリストの教会で見つけました。

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自分を生きる人生に Y.H 20代 

母親に連れられ幼い頃から教会に通っていた私は聖書の話しを聞いて育ち、九歳の時にイエス・キリストが自分の罪の為に死んで下さったことを信じ、バプテスマ(洗礼)を受けた。私は四人兄弟の三男坊で、いつも兄たちの意見が自分の意見よりも先にあったので、その後についていくような主体性のない性格であった。バプテスマを受けたのも皆が受けたので、自分も同じようにしただけであった。だから中学、高校と学年が上がるにつれて、自分の中に教会に行く意味が見出せなくなり、その結果徐々に教会生活から離れていった。
 自我は誰よりも硬いが内向的で、高校生にもなると周りに合わせて生きるのにも疲れを覚え、そのような主体性のない自分に嫌悪し、今まで何となく信じていた信仰も無くしかけて、無気力な状態の日々が続いた。頼ることができるのはもはや自分しかいないと思い込み、自意識過剰になり、人の思惑を気にし、周りの人と比べては劣等感に陥り、人と話す時もおどおどして恐れるようになっていた。家にも教会にも学校にも、だんだん自分の居場所がなくなるのを感じて窮屈になり、自分の世界に引き篭ることが多くなった。就職も大学受験も失敗し、高校卒業と同時に家を飛び出して鹿児島の祖母の所へ行って一年間生活した。
 そこでは誰にも干渉されずに、落ち着いて徹底して本音の自分と向かい合えた。自分の性格を分析し、心理的葛藤をノートに書き綴り、ひたすら思考の中に閉じ篭る生活を送った。しかし自分の存在意義、目的、何を基準にものごとを判断して行けばよいのかという問いに、結局自分を中心にした考えでは納得の行く解答を得られなかった。『誰かこの暗闇に光を照らしてください!』という心の叫びは、いつしか神に対する祈りとなっていた。
 ある夜、不思議な体験をした。高熱でうなされながら一人ベッドで寝ていると、なぜか十字架上のイエス・キリストの絵が頭の中に浮かび上がり、それに向かって罵詈雑言を浴びせている群衆の中に自分がいた。ふと意識が戻った時、自分こそが、二〇〇〇年前に罪無き神の子イエス・キリストを十字架につけた罪人であることを、その時改めてはっきりと悟った。
 その後ある宣教師と出会い、その生き生きとした姿に魅力を感じ、それがきっかけで再び自分の教会に戻ることになった。自由になりたくて外に飛び出したが、逆に罪に縛られた不自由な自分に気が付き、神に身を委ねること以外には自由を得ることはできないと悟った。
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分のしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」            ローマ七章一五節
 人の目を気にしすぎていた私は人間関係に不安があったが、この問題も神様に信頼するようになると、他の人にも向き合えるようになった。今までは自分と向き合うことばかりであったが、神様に目を向けると、初めて周りの人も、自分の姿も見えてきた。自分に拠り頼むのではなく、全てのものに目的をもって造られた真の神様に拠り頼む生き方こそ、本当に意味のある生き方だと思った。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」         箴言三章五、六節
  このような私に対して神様は「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)と言って下さり、また煩悶の中で私の祈り応えて道を開いて下さった。私はこの神様に仕え、神様が与えて下さった自分の人生を生きていきたいと願ってる。
 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自分をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」         ガラテヤ二章二〇節

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聖書の言葉に支えられて Y.Y 50代 会社員

 私がキリスト教を知るきっかけになったのは、今から十二年前の一九九一年のことです。クリスチャンである友人が、土曜の夜の特別伝道会に誘ってくれたのです。その友人からは、何度となくキリスト教のことは聞いていたと思いますが、特に興味も無く適当に聞き流していたと思います。―
 その頃の私は、子供の非行ことで悩み、苦しみ、ヘトヘトに疲れている状況でした。今から二五年前、三歳と一歳の子供を抱えて離婚をしました。無我夢中で働いてきました。働くことも、貧乏も、特に苦ではありませんでした。子供達の元気で明るく成長してゆく姿が、何よりの喜びだったからです。ですから子供達が非行に走ったことは、しばらくの間信じられませんでした。じっとしていられませんでしたから、色々な事をしました。霊能者に祈祷をしてもらう、写経をする、挙句の果てには方角を見て引越しまでしました。しかし何か変でした。でもその時は、「どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ」と夢中でした。
 ―その伝道会で私は神様を信じたわけでもなく、教会に救いがあるなんて考えもしませんでした。その頃の私は心の底で、「冗談じゃない、私のどこが悪いのよ。」という傲慢な気持ちが強かったと思います。しかし、それをきっかけに罪ということを考えるようになりました。自分自身の中にある身勝手さ、人には言えないような醜さが浮かびあがり、それを目の前に突きつけられる思いが強くなって、何重もの苦しみにもがきました。「人間なんて皆そんな者よ。何で私だけがこんなに苦しまなければならないの。教会になんか行くんじゃなかった。」と、恨み心さえ抱きました。でも今思うと、それが神様の働きだったようです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
詩編一一九篇七一節
 そして翌年、婦人集会に誘われたのですが、気乗りがしないでいたところ、家に居られない状況になってしまい、フラフラと教会に出かけたのです。その時に語られた説教の中に次の聖書の言葉がありました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 マタイ一一章二八節
 このみことばに、私は涙が溢れて止まりませんでした。それからというもの私は、聖書と教会にどんどん引かれていきました。私の頑なだった心を開いたのは、人の慰めや励ましではなく、聖書のみことばだったのです。そして私は自分の内にある罪を、素直に認めることができるようになりました。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
マタイ一一章二九節
 「神様、あなたを信じます。私の罪を身代わりに負って、十字架についてくださったイエス様を信じます。」私は心からそう思うようになりました。
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―」 エペソ二章四、五節
 この恵みは、私の心配の絶えない二人の子供、いや、愛する子供たちにも、もう差し延べられているということが信じられますので感謝です。
 それからも色々なことがありました。今もあります。毎日あります。しかし・・・・・・
「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける。』」
イザヤ四一章一三節
と神は言って下さっているので、私の心にはいつも平安があります。
あれから十年、聖書のみことばに私は支えられてきました。神様の約束は、いつも真実であります。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒一六章三一節
 今私は、親子そろって神様を賛美する日を夢見ています。

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キリストにあって生きるものと変えられて M.Y 50代 医師

 一九六八年、私はある大学の医学部に入学しました。その年に学園紛争は全国に広がり、私の通っていた大学も翌年一月より学生自治会の決議によりストライキに入りました。正門にはバリケードが築かれて、大学は封鎖されました。しかし同年六月に機動隊が導入されバリケードは撤去されて授業が再開されました。
 この六ヶ月間は、私にとって深い無力感を味わった時でもありました。理論武装している学生運動家には太刀打ちできるわけはなく、その理論に振りまわされ、何も出来ない自分に虚無的になっていました。それらを通して、他人の考えに振りまわされる浮き草のような生き方ではなく、私はこのように生きるのだ、と宣言できるしっかりした人生観を持つようにならなければと思うようになりました。
 大学三年生の時に学内でクリスチャンと知り合う機会が与えられ、その秋にキリスト教会で開催される特別の集会に誘われました。その集会で私はイエス・キリストを信じる決心をしました。その時の、信仰を持とうと決心した動機は、キリスト教の教えに私の拠って立つことのできるものがあるかもしれないと思ったからでした。
 しかし教会に通うようになった私が私の中に発見したものは、私は罪の奴隷だということでした。私は怠惰な性格ですから、よく失敗をしておりました。信仰を持ってからは、そんな自分の不手際のことでよく祈りました。不思議なことに、神様は私に祈りをよくかなえて下さいました。しかし特に感謝するような気持ちも湧かず、「ああ、よかった。」で、応えてくださった神様のことを忘れてしまうのです。私が神様に仕えるべき存在なのに、神様をまるで自分のしもべのように使っている、恩知らずで自分勝手な罪人であることを思い知らされました。
「そのときに人々は、自分を愛する者・・・・・・感謝することを知らない者・・・・・・になり」 テモテ後三章二節
 またある時、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」   ピリピ二章三節
という聖書のことばを実行しようと思いました。しかし他人よりも自分が優越していなければ気が済まないという思いを強く持っている自分に気がつきました。神様お赦し下さいと心の中で叫びましたが、再びその人に向かうと同じ思いが湧いてきます。それに気付くたびに赦しを願いましたが、その思いは消えず、全くの罪人である自分を思い知らされました。
「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」
         ローマ七章一八節
 そのような経験を通して、イエス様が十字架にかかって死なれたのは、私の身代わりになって罪の裁きを受けたためであったことが理解でき、私はそのことを信じ、復活されたイエス様を私の救い主として受け入れました。そしてその信仰によって神様の赦しをいただき、罪から解放され、自由が与えられ、そしてこの自由を人のために用いるべきである事を聖書によって教えられました。
 私は今、人生を斯く生きると宣言できるものを持っています。それはイエス・キリストです。現在は日曜毎に、教会で礼拝を守ることができて、神様に感謝しています。皆さまもぜひ教会にいらっしゃって、イエス様にある赦しと喜びを味わっていただきたい、これが私の切なる願いです。

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イエス・キリストを信頼して 20代 会社員

 私は小さい頃から、親に連れられて教会に通っていました。礼拝の前にある日曜学校では、賛美や工作や聖書のお話が大好きでした。聖書のことばを一生懸命に覚えましたが、その言葉の意味を理解しているわけでもなく、聖書のお話を聞いてもあくまでお話であって、本当にあったことだとは信じられませんでした。十字架もなぜ私の罪のためにイエス・キリストがかかってくださったのか、不思議で理解できませんでした。
 小学生のときは教会に仲の良い友達がいなく、自分の居場所がないみたいで「どうして私はここにいるのだろう・・・?」と思っていました。もともと少し難聴気味でしたが、小学校5年生くらいから聴力がかなり低下したり、めまいがしたりしました。学校での友だち関係は良かったのですが、その頃色々苦しいことがありました。そんな時、あまり開かなかった聖書を開いてみると、次の言葉が目に飛び込んできました。
 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを絶えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。」(Ⅰコリント10章13節)
 私はこのときから神様の言うことを信じてみようと思いました。
 それから引越をして教会が家から遠くなったので、あまり教会に行かなくなりました。
 高校生のとき、キリスト教を強く意識するようになりました。そして興味と共に疑問も湧いてきましたが、それを受け止めてくれるクリスチャン達がいました。それでも尚わからないことが多くて、それ以上追求してゆくことが嫌になって何度もやめようかと思いました。信じたいけど信じ切れないという自分の中の葛藤に対し、自分の力で信じようとしていたことが段々と分かってきました。
 あるクリスチャンに、「神様にすべて委ねるといいよ」と言われ、重荷が軽くなった気がしました。今まで聖書を拾い読みしていただけで、神様のことをあまり知らない自分に気がつきました。それで、新約聖書を順に読み進めて行くうちに聖書のことばを素直に聞き、教えられるようになりました。
 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(Ⅱテモテ3章16節)
の通りでした。そして、
 「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ・・・」(コロサイ3章16節)
とあるように、聖書を読むことで神様との交わりができることを嬉しく思うようになりました。
 日々一生懸命祈り、みことばを教えてくださいと願いました。そして神さまは、礼拝やクリスチャンとの親交を通して少しずつ解答を与えてくださいました。今まで神様のことを考えずに自分中心に生きてきたことが罪だということを、聖書を通して気付かせて下さいました。そして18歳のときに、罪の中に生きていた私のためにイエス・キリストが十字架に架かり死んでくださったことを信じることができました。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ福音書3章16節)とのみことばにあるように、これまでの罪を赦していただき、神の子とされ天国にいけることを確信し感謝しています。

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キリストは私の真の理解者 50代 会社員

 私が初めて教会へ行ったのは大学4年の時でした。バス停でバスを待っていると、目の前で今まで聞いたことのない歌を歌っている人たちに「教会にきませんか?」と声をかけられたのがきっかけです。それまでキリスト教には全く興味がなく、宗教はお年寄りか弱い人が信ずるもので、自分には関係ない世界と思っていました。
 その当時、私は大学を卒業したらカナダに移住するつもりでした。それでキリスト教を知っておくのも良かろうと思い、誘われるままに教会へ行きました。
 教会に入って驚いたのは、教会というところは静かで厳かな雰囲気のところと思っていましたのに、それとは様子が違っていたことでした。そこにいる人たちはとても明るく楽しそうにしており、新参者の私に旧知の友だちのように親しく声をかけ迎え入れてくれました。教会に続けて行くようになったのですが、牧師先生が語られる聖書の話はなかなか理解できませんでした。
 そんな中で「義人はいない」「すべての人は罪人である」という聖書のことばには共感を覚えるものがありました。『私は確かに正しい人間ではないが、彼(私の友人)は私よりもっと悪い。今日の話は彼に聞かせてやりたかった』とその時は考えていました。
 当時、私は日記をつけていましたが、一日の終わりに記す内容はいつも同じ失敗の繰り返しと反省のことばかりでした。悔いのない生き方を願いながら、それとは裏腹な一日を送ってしまう。こんな私に神様は一つのみ言葉を与えてくださいました。
 「神の情け、汝を悔い改めに導くを知らずして、その慈悲と忍耐と寛容の豊かなるを軽んずるか」に触れた時、『神がなくても自分の力でやって行ける』と思い上がった私がそのような生き方から悔い改めるのを、神は今か今かと待っていて下さったこと、そしてこんな傲慢な私の罪をゆするためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえって下さったことを信じ受け入れました。
 クリスチャンになって28年、嬉しいこと楽しいことが沢山ありましたが、いつも順風満帆な日ばかりではありません。不意に襲ってくる人生の嵐の中で、時には悲しみが私の心を占領し、どうしたらよいのか戸惑う時もあります。でもこんなときこそ、私は自分がクリスチャンであることを本当に良かったと思うのです。それは、悲しみの中にありながら私の心には言い知れぬ平安が確かにがあるからです。
 クリスチャンになる前、私はだれにも頼らないで自分の力で生きる生き方を当然とし、限界の壁などあるはずもなく、努力すれば何でも解決出来ると思っていましたので、出来なかった時は大きな落胆と失望を味わいました。そして、『私のこんな苦しみを誰が理解できようか・・・』などと思ったものでした。
 しかし、主イエス・キリストは私のすべてをよくご存知です。そして私の人生の旅路を一緒に歩いてくださり、嬉しい時には共に喜び、悲しい時も共に悲しんでくださいます。このイエス様の前に人生の重荷を置くときに感謝と平安があふれることを私は知っています。
 「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがお出来になるのです。」(新約聖書ヘブル人への手紙2章18節)

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神の愛との出会い N.E 20代主婦

 思いもよらず、悲しい出来事に出会い深い嘆きに沈むとき、人は何を考えるのでしょうか。私は今までの生き方を振り返りました。そして、人間の様々な面における限界に気づきました。私にとってその出来事は、両親の離婚でした。

 中学卒業後、母と妹二人と一緒にカナダに住み始め、それぞれ現地の学校に通い始めました。留学は母の学生時代からの夢でした。父は母の希望を知り、短期間ならと言うことで賛成しました。父は会社を経営している為日本に残りました。最初の一年間は、大変だけど充実した幸せな日々を過ごしました。
 新しい生活に慣れ始めた頃、両親が離婚しました。すでに離れて生活していたため、実感としてはよく分からず大きな衝撃は受けませんでした。しかし、この出来事を境に親子の関係が急激に変化しました。
 それまでわたしは両親の意見を全面的に信頼し、一度も疑ったことはありませんでした。そのため両親が一般的に不道徳とされることを行ったことに対して、戸惑いました。また長女である私は、母の相談役となりましたが、母の悩みは重すぎてそれを受け入れる精神的な強さや知識もありませんでした。ただ母の弱さにはじめて触れ、裏切られたような気がしました。私は悲嘆に暮れながら父や母を責めました。
 今まで父や母が私の道しるべでした。しかし彼らを理想化していた自分に気づき、彼らも私と同じ人間なんだと認めることが出来るようになりました。父と母そして自分の限界を悟りましたが、人生の方位磁石を失い、途方にくれていました。
 新しい方位磁石を模索している最中、友人に導かれ教会で聖書について学び始めました。そして神の愛にその針を合わせ、神にならうものとなり、歩むことが真実な生き方だと知りました。それは、神はそのひとり子であるイエスをこの世に遣わされたほどに、私たちを愛したからです。その愛のゆえにキリスト・イエスが私たちの罪のために、十字架に架かり死んで下さったからです。
 その愛は寛容で忍耐強く、普遍です。神の愛は私にとって今後も大きな課題です。

 「ですから、愛されている子供らしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。」
新約聖書エペソ五章一節

 人が自らの生き方を振り返ったとき、思うことは多種多様です。しかし神の愛は限りなくすべての人の上に注がれているので、いつも私たちの道しるべとなります。

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本当の自由 M.I 20代 会社員

もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。
ヨハネの福音書 八章三六節

 「自由」なんとすばらしい言葉でしょう。私はこの言葉が大好きです。しかし自由とは何なのでしょう。ああしたい、こうしたい、好きなことして、限られた人生せいいっぱいエンジョイする。私は自由とはそういうものだと思っていました。 
 二年前私はそういう自由を求め、岐阜の実家を飛び出してきました。すべてのしがらみを捨てて、夢と自由を求めて。しかし、すぐに挫折、失望、エンジョイどころか、すべてが絶望のどん底でした。まるで死んだように生きていました。
 私の母はクリスチャンでした。母はこの放蕩息子の私にクリスチャンになるよう勧めてきました。私はというと「宗教なんてまっぴらごめんだ!」そういって取り合いませんでした。当時の私は、宗教も神も人間が考えたもの、そんなものを信じていったい何になるんだ。というように、世間一般ではしごく当たり前の考えをもっていました。
 しかしいろいろあって私はある牧師の書いた一冊の本を読むことになりました。その本を通して私は聖書のいう「罪」を思い知らされました。愚かな私は自由と放縦を取り違えていたのです。自分の欲望にとって都合が悪いと、文句を言ったり、憎んだり、妬んだり。
 自分の罪を思い知った私は、その罪から何とか救われたい、自由になりたいという思いでいっぱいでした。しかし自分で自分を救うことはできない。だったら救ってもらうしかないのだと思いました。
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
ヨハネの福音書 一一章二五節
 
 それから色々あり、悩んだりもしましたが、二〇〇〇年クリスマスにバプテスマを受けさせていただき、その数日後、この聖句に突き当たりました。私はこの聖句を見た瞬間、このとっぴな言葉を心から信じたのです。いえ、この瞬間、すでにイエス様の救いを信じている私の内にイエス・キリストのいのちが宿っていることを確信したのです。そして私は本当の自由を得たことを実感しました。憎しみ、嫉妬、欲望、コンプレックス、これらすべての根本である罪がプツンとちぎれ飛び、新しいいのちをもらったのです。
 その後、まるで死んだように生きていた私に、みるみる生気が満ち溢れ、現在も、イエス様のいのちに生かされ、日々感謝の内に歩んでいます。

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2004/04/07

「神の愛に生かされて」 K.Y 主婦 60代

 教会のある婦人の集いで、聖書の学びも終わり交わっていると、三澤先生がニコニコしつつ尋ねられた。
「私は今、自分を愛していると言える、そう思える人はいらっしゃいますか」と。
 少し間をおいて、私も手を挙げた。そしてその問いかけをずっと以前から心に留めていたことに気づいた。
「本当に?」「愛するってどういうこと?」神様は私を創造なさって「良し」とされたはずなのに、当の私は自分がとても思い。私をじっと見てとがめたり責めたりするもうひとりの私が、「駄目な人」と私にレッテルを貼る。そな私の心を知って、なお導いてくださる方を私は求めていた。

 私には病身の妹がいた。私はその妹とともに、若い頃から人のいのちの意味や生き甲斐を、悩みつつ求めていた。そして三十数年前に全盲の牧師を通して、聖書ヨハネ福音書九章三節から「神の業がこの人に現れるため」との答えを頂いた。何ゆえこのような障害をもつ身に、と嘆かざるを得ない存在でも、いやそのような存在だからこそ、神様の不思議な、大切な目的をいただいているのだと教えられた。この神さまが、妹や私を生かしておられるのだという事を聞き、喜んでその神様を信じた。

「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」 第一コリント九章六節

 何をしても空しく思え、何にも身の入らなかった私には、これは大きな励ましと指針となり、妹の人生にも意義があることを知って、本当に嬉しかった。

「こういうわけで、あなたがたは食べるにも飲むにも、何をするにもただ神の栄光を現すためにしなさい。」 第一コリント十章三一節

 こうして喜びつつ、信仰に励んだ私であったが、神さまはさらに私に近づいて諭して下さった。私は慢心していた頃かと思う。何か事に当っても、それまでのように素直に「ハイ」と言えない状態が続いた。苦しかった。そして聖書には、そんな私の心のすべてを神は見通され、私がどこに逃れても神さまはそこにいて支配しておられるということが書かれている。

「あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」 詩篇一三九篇二、三節

 神さまに素直に従えず、罪を持つ私であったが、なおも神さまの愛の中に居させてもらいたかった。そんな心の葛藤の後に、このような罪ある私のそばに、あえて共に立って下さるイエスさまこそが、私は自分の救い主であると信じることができたのであった。

 私がイエス様を通して真の神さまを信じることが出来たのは、私の認識の結果でもなければ、決意や努力によるのでもない。罪ある私に代わり十字架で死に、復活されたイエスを、私は自分の救い主として信じるように導かれたのである。神さまはそんな私の信仰を受けいれて、私を「良し」とされたことを体験の中で知った。

 弟子達のリーダー格でありながらイエスを裏切って自分を守ったペテロの姿こそ私そのものだ。荒野、砂漠、日照り等と聖書が描く不毛の地こそ私のことだと思う。愛にも知恵にも力にも、それらを満たす水源を持たない状態は、私の心そのものだ。
 しかし自分を肯定できずに「重い」というそんな私だからこそ、主イエスさまは心に留めて関わって下さったと思う。

「わたしが洗わなければ、あなたとわたしと何の関係もありません。」 ヨハネ福音書一三章八節

 私は、このイエスさまが、私をそのままそっくり受け入れてくださり、私を活かすいのちの水の源となり、私の中にいてくださることを、今少しづつ知り始めている。イエスさまが受け入れて下さった私を、私も受け入れ愛したい。そこにこそ私の魂の安らぎがあり、憩いがあるのだから。
 イエスさまに受け入れて頂いている私は、自分だけではなく、さらに進んで私の周囲の方々をも受け容れて愛する者になりたいと願っている。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」 ヨハネ第一の手紙四章十、十一節

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「キリストとともに歩む人生」 A.O 元会社員 60代

私の人生で初めて経験した衝撃的な出来事は、私が小学五年生の頃の祖母の死でした。戦争中に幼年期を過しましたので、それまでも戦争の悲惨さや爆撃の恐ろしさを知っていましたが、それでも未だ親族の死というものを直接経験したことがなかったのです。母と同様にとてもやさしいおばあちゃんでしたので、祖母の死顔に大変なショックを受け、それから数日間はよく眠れず、「死んだらどうなるのだろう」と子供ごころなりに悩むようになりました。そのことは成長しても、時折私に大きな疑問と不安となって襲ってきました。以来私は〈人間の生とか死〉という問題を非常に身近な具体的な問題として考えるようになりました。聖書の伝道者の書七章二節に

「死の日は生まれる日にまさり。祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこにはすべての人の終わりがあり、生きているものがそれに心を留めるようになるからだ。」

とあります。肉親の死を通して、真の神に導かれた方は沢山いらっしゃると思います。それは単に悲しさ、辛さを癒されたい、慰められたいという気持ちから何かにすがったというだけではないと思います。そのことを通して、生と死の根源の問題を見つめ、神のご主権とキリストの十字架の愛を知ったからだと思います。

 私も大学三年の時、英会話が目的で通い始めた小さな教会で図らずも、聖書の神こそが天地の創造者であり、その神から離れて思いのままに生きている人間のおぞましさ、傲慢さ、偽善さを聖書を通して示されました。聖書ではそのような状態を罪と言い、そのような罪を贖うために神の御子イエス・キリストが十字架上で私たちの代わりに死んでくださったのだと知り、そのことを信じ受け入れました。その時、子供の頃から悩み、哲学も、文学も、人生の書も、誰も答えてくれなかった〈生と死〉の問題が解決されました。

 なぜなら、神様こそ「万物の存在の目的であり、また原因で」(ヘブル人への手紙二章一〇節)いらっしゃるからです。
 あれから四〇数年間神様に守られて今日まで歩んで参りました。勿論この間、人並みに人生の幾多の山坂を越えてまいりましたが、

ロマ書八章二八節「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」

の御言葉が実感として湧いてきます。「アーメン!そうです、私たちも知っています」と家内共々思わず叫びたくなる思いです。

 人生を振り返れば、神の導きの跡があのことが、このことがまるで雪原に描かれたシュプールのように見えてきます。その時には判らなかったことでも、今は「ああ、そうだったのか」と感謝をもって思い出すことができます。これからもそのように教えられ続けていくことでしょう。まさにキリストこそは「道であり、真理であり、いのち」(ヨハネ福音書十四章八節)であります。

 救いに導かれても、勿論清廉潔白な聖い人間になった訳ではなく、日々が罪の苦い根との戦いではありますが、既に死と罪の闇に勝利されたキリストにあって、望みと平安をいただいております。これからも真の神さまの導きをいただきながら、歩み続けたいと願っています。

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「本当に良いもの」 J.E 大学院留学生 20代

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これからのことを賢いものや知恵のあるものには隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父からわたしにわたされています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

マタイ一一章二十五~二十八節

 大学院生である私は、レポートの締切りや発表日が近づいて来ると、今までぼんやりと考えたことをまとめて立派な結論を出し、皆の前でもきちんと発表しようと願うのですが、それが出来ないのではと心配になります。その時には「もう二度と論文など書かない」と自分に約束をします。心配しながら、最後の最後まで努力をして論文をまとめ、発表も無事終了します。その途端、開放感と混ざって、自信満々になり、数週間前に決心したことを全く忘れて、次の論文の計画にとりかかってしまうのです。

 しかし自信満々では、「物事を見て理解しようとする」という理想的な研究に必要な謙遜さを欠いてしまうことが多いのです。「自分は、何が正しいか何がそうでないかを完全に解っている」と思い込んでいる時は、何も新しいことが見えて来なくなります。そのために、そういった状態がしばらく続くとまた落ち込んで、次の締め切りを悩みながら迎えることが多いのです。

 研究をするというのは、こういった気分的に激しい変化を経験するものです。少し考えてみたら、この世の中で、研究であれ、仕事であれ、何かをしようとするというのは、そんなものなのかもしれません。成功やヒトの誉め言葉を間違った受け止め方をすると、自分を偉く思い過ぎて、「初心」から離れてしまい、元々の動機や感じたことに対する魅力も離れて行ってしまうのではないでしょうか。

 上記の聖書に書かれている「知恵のあるものには隠され、幼子には現されていること」というのはそういった謙遜に基づいた「初心」ではないでしょうか。

 良い研究者は、一瞬一瞬の解明の為に一生をささげるとよく言われます。というのは全部を解っている人はそれ以上勉強をする必要もないし、勉強をしても、新しい発見がないのです。偏見から離された者しか発見することはできません。

 しかし、立派な目的を持って、研究者になったとしても、研究者は他の人と同様、生活のために仕事などで色々な人と調整をしなければいけません。そして、いつの間にか、その立派な理念と正反対の行動をするようになることが多いものです。証拠を示し、論理的に分析して、そして結論を出したときには必ず反論されます。自分が見た事実を他人に納得してもらうのは大変なことです。そこでは言うまでもなく、研究者の地位やその時代の社会的な背景が影響を与えています。ですから、いくら「科学的に証明されている」とは言っても、客観的な結論はあり得ません。

 学問と同様に、私達一人一人は社会の中で生活しています。ある時には「争う」と言ったほうが良いでしょう。そして、「知恵のある人」あるいは「偉人」と思われる人が、必ずしも神様が考え、幼子に現された自然な「良いもの」というわけではありません。

 私達クリスチャンはその疲れる世界の中で活躍しながら、イエス様のところにいって、休むことはできます。そして、神様の子供達である私達は再び幼子の現されている「初心」にもどり、物事が再び、見えて来るのです。

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「もう一度導かれて知った真理」 Y.M 主婦 50代

 私は一九八五年十一月の特別伝道集会において救いに導かれました。救いに至るまでに長い年月がかかりました。その間、神様の忍耐と導き、又教会の方々の祈りと尊い愛の犠牲があったことを覚えて主キリストに感謝します。

 初めて聖書を読んだのは「ものみの塔」のものでした。仕事と初めての育児で大変な時でした。育児の参考になればという軽い気持ちで、家に訪ねて来た婦人から小さな本を買いました。何か良い事が書いてあるように思い、子供も正しく育て、自分もより良く生きて行きたいと考え勉強を始めました。

 神様の愛や救いの事を良く理解できていないのに、ああすべきである、こうしなければならないと教えられましたが、自分には実行は困難で、だんだんと行き詰まりを感じてきました。何かをしているという満足感はあっても、本当の平安はありませんでした。そのような時、近所に住んでいた船橋教会の原口姉からトラクトをいただき、三沢牧師とお会いする機会が与えられました。そして次のようなことを教えられました。

 「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。」

第一ヨハネ四章三節

 ものみの塔は異端の教えであり、神様は三位一体の神様であることを聞きました。

 「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方に、すなわち神の御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠の命です」

第一ヨハネ五章二〇節

 イエス・キリストが私たちの罪の身代わりになって死んで下さったことを信じるだけで、自分の罪が赦され、神への救いを受けられるのだということも知りました。

 けれども、最初に聞いたものみの塔の教理は私の心の中を大きく占めていて、先生からいくら正しいお話をうかがっても素直な気持ちで聞くことができませんでした。また、自分の罪についても分かりませんでした。「自分にも罪はあります」と口では言いながら心の中では、今まで正直に生きてきて人から後ろ指さされるような事はしていない、と思っていました。

 しかし神様は他人を裁くという事を通して私の罪を教えて下さいました。友人を愛し心配している自分の中に、その方を冷たく批判しいつも裁いている自分がいる事に気が付きました。

「私には、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」

 ローマ 七章十九節

 自分自身の罪がわかった時、キリストが十字架上で私の罪のために身代わりの死をとげてく

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく,神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

エペソ 二章八、九節

 信仰生活も十五年目をむかえています。神様の導きと平安の中で生かされていることを感謝します。自分のみにくさや足りなさを発見する日々ですが、神様に喜ばれる者に変えていただきたいと願いつつ祈っています。聖歌七○一番「罪けがれは いや増すとも 主の恵みもいや増すなり」の歌詞を味わって、キリストの赦しの中に生かされていることを。喜んでいますださったということを理解することができました。そして神様はもう一度、教会に導いて下さり、特別伝道会を通して、神さまについて行こうと決心することができました。

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